24
5月
5月18日に田村和大くんの訃報を聞いて、22日のお通夜でお別れをして来た。
沢山の方がいらしていた。翌日の告別式は仕事で参列できないので、今日ちゃんとお別れをしようと決めていたけれど、実に彼らしい遺影と、その脇でご挨拶をなさっているお父様と、田村くんと一緒にイタリアン『Tagen』をやっていた弟さんの姿を見て、涙がこぼれそうになった。
田村くんとは私が歌い始めた頃からの付き合いなのだけれど、最近は私のクラスの発表会でサポートをしてくれることも多かったので「藤野さん出世したね」なんて冗談も言ってくれていた。
彼の甘いマスクと照れたような笑顔のファンは沢山居ただろうし、その実うちの生徒さんたちにも人気があった。発表会だからと妥協せず、真剣に紡ぐ音色にみんな随分勉強させていただいた。
二人でデュオの仕事をすると良くいろんな話をして、音楽のはなしや料理やお酒、調理器具の話など多岐にわたった。ガンズ・アンド・ローゼズやアーマッド・ジャマルが共通のお気に入りだったこともあって、昔のバンドの話をしたり。
初めて二人でデュオの仕事をしたとき、一番最初に彼がピアノソロでI’ll be seeing youを弾いた。私の大好きな曲で、その晩自分が何を歌ったかは覚えてないが、その曲だけ鮮烈に記憶にある。
お通夜で涙がこぼれそうになって、その時の演奏のことをまた思い出していた。多分他の参列者の中にも見知った顔があったのだろうけれど、探す気にもならず、歩き始めたその時、ギターの関根彰良くんが私を呼び止めてくれた。
関根くんは田村くんととても仲良しで、私なんかよりずっとずっと苦しいだろうに。私はそんな関根くんの顔を見たら、涙が止められなくなってしまった。
「なんか、変だよね。」
「うん。田村の悪い冗談みたいだ。」
「誰それも来てたよ」
「そうなんだ、気付かなかった」
「明日、仕事で来れないから、私の分もお別れしといてね」
「うん」
翌日、レッスンの間、相当な集中力で1日を終えた。こんな風に突然に素晴らしい才能が消えてしまうのなら、もう私にも、生徒さんたちにも、時間があるとは思えなくなってしまって、やらない言い訳は聞きたくないと思っていたので、もしかしたらキツいことも言ってしまったかもしれない。
家に帰る途中で、生徒さんの一人からメールが来ていた。田村さんへの追悼の言葉が連なっていた。
私はその返事で、
いつか行こう、とか、いつかやろう、とか、そのいつかは来ないと同じことと思うと書いた。それはまさに、自分への戒めであった。いつかでなく、今この瞬間で生きていけるように、私自身も後悔のない時間を過ごそうと思った。
I’ll be seeing you
この歌を田村くんへ。
また、ね。